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東京高等裁判所 昭和60年(行ケ)63号 判決

一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。

二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。

まず、引用例一記載の発明の技術内容の認定について審決に誤りがあるか否か、すなわち、引用例一記載の表面被覆超硬合金部品の製造において、炭化物等の被覆層を形成させる超硬合金母材に遊離炭素を含有させているとした審決の認定に誤りがあるか否かについて検討する。

1 引用例一に、超硬合金より成る母材に対し炭化物等の硬質被覆を施すに当たり、あらかじめ母材に浸炭などの下地処理を施すことが記載されていることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と成立に争いのない甲第二号証(引用例一)によれば、引用例一記載の発明は、鉄基合金及びタングステンカーバイト基、チタンカーバイト基のごとき超硬合金より成る母材の表面に該母材との結合力が強固で、しかも厚い硬質被膜を形成せしめる方法に関するものであること(甲第二号証の明細書の項第一欄第一五行ないし第一九行)、「従来鉄基合金およびタングステンカーバイト基、チタンカーバイト基のごとき超硬合金よりなる母材の表面に化学蒸着によつてさらに硬質被膜を形成せしめてその硬度を増強させる方法は知られている。しかしながら、上記のごとき方法で硬質被膜を形成させる場合において、該硬質被膜と母材との結合力は炭素原子の挙動によつて影響され、特に鉄基合金よりなる母材の場合には該母材中の炭素含有量によつて著しく影響を受ける。すなわち、たとえば、母材が炭素含有量の多い鋳鉄よりなる場合には、同一条件の化学蒸着によつて形成された硬質被膜は厚く、しかも母材との結合力が強固であるが、炭素含有量の少ない鋼よりなる母材では、同一の条件で形成された硬質被膜は薄く、かつ母材との結合力がよわく、たとえば通常のラツピング操作によつて該被膜の剥離が見られ、実用的効果は期待できない。」(同第一欄末行ないし第二欄第一六行)という知見に基づき、引用例一記載の発明は、化学蒸着のみによる従来法の欠点を解決し、工業的に有利な硬質被膜形成法を提供すべく、前記のような超硬合金より成る母材の表面に炭化物、窒化物、硼化物などの一種又は二種以上で構成された硬質被膜又はそれら硬質被膜中に結合金属として鉄族元素を含む硬質被膜を形成させるに当たつて、まず前処理として前記母材に「滲炭、窒化、滲硼などの下地処理」を施して前処理層を形成させた後に、それら前処理層の上に化学蒸着によつてそれぞれ前記のごとき硬質被膜を形成させるという二段処理法を採用しているものであること(同第三欄第一〇行ないし第二〇行)、右方法により、母材との結合力が強固で、しかも厚い硬質被膜を容易に得ることができること(同第四欄第一、第二行)、引用例一の発明の詳細な説明には、実施例として、(ⅰ) 母材を炭素鋼(S 一五〇)より成るものとし、ブタン(C4H10)雰囲気中で八二〇度cにて二時間浸炭処理を行い、表面に〇・八m/mの浸炭層を形成させたもの(実施例1)、(ⅱ)母材を八二重量%WC、一〇重量%Co、五重量%TiC、三重量%TaCの組成の超硬合金から成るものとし、カーボンパツクして一二五〇度Cで三〇分間浸炭処理したもの(実施例2)が記載されていること(実施例3、4については省略)が認められる。

右認定のとおり、引用例一記載の発明は、鉄基合金及びタングステンカーバイト基、チタンカーバイト基のような超硬合金母材に化学蒸着によつて硬質被膜を形成させる際に、被膜形成に先立つて、形成しようとする硬質被膜が炭化物であれば浸炭処理を、窒化物であれば窒化処理を、硼化物であれば浸硼処理を、それぞれ下地処理(前処理)として母材に施して前処理層を形成させ、その上に硬質被膜を形成させるという方法によつて、母材との結合力が強固で、しかも厚い硬質被膜を超硬合金上に形成することができるものである。

一方、成立に争いのない甲第五号証(本願公告公報)によれば、本願発明は、いわゆるコーテイングチツプ(WC若しくは/及びTi、Zr、Hf、V、Nb、Ta、Cr、Mo、Wの炭化物及び/若しくは炭窒化物の一種若しくはそれ以上の混合物若しくは固溶体を鉄族金属と結合した超硬合金を母材とし、表面にTi、Zr、Hfの炭化物、炭窒化物を数ミクロンの厚さに被覆したもの)が備えている母材の靭性と表面の耐摩耗性という特性を一段と向上させたものを安定して提供することを目的とし、従来超硬合金自体の性質には悪い影響を与えるものと考えられていた遊離炭素を利用し、前記本願発明の要旨記載の構成を採用したことにより、脱炭層(η層)のない、靭性に富んだ、また、耐摩耗性においても改善された切削工具用として適する表面被覆超硬合金を製造することを可能としたものであることが認められる。したがつて、本願発明において母材として遊離炭素を含む超硬合金を用いている目的と、引用例一記載の発明において浸炭処理を行つている目的とが一致するものでないことは明らかである。

2 ところで、引用例一には浸炭処理によつて超硬合金母材に遊離炭素を析出させる旨の記載がないことは当事者間に争いがなく、また、前掲甲第二号証によれば、引用例一には右事項を示唆する記載もないものと認められるところ、被告は、超硬合金に浸炭処理を施す場合、処理条件を選定することによりその表面部に遊離炭素を含有させることができることは乙第二号証により裏付けられ、引用例一記載の実施例2の場合は、少量ではあるが遊離炭素の析出があつたであろうことは容易に推測される旨主張する。

しかしながら、本願発明が当業者において容易に発明をすることができたものといえるかどうかの判断は、本願発明の特許出願当時における技術水準を基準として行うべきものであるところ、右技術水準は、右時点において当業者が知り得る状態になつていた事項によつて構成されるべきものであるから、右時点後に公表された資料によらなければ、引用例一から一定の技術内容を適確に把握できないようなときは、そのような資料に基づいて判断を進めることは許されないことはいうまでもない。成立に争いのない乙第二号証によれば、昭和五三年特許出願公開第三九七八号公報は本願発明の特許出願後である昭和五三年一月一四日に公開されたものであることが認められるから、そもそも同号証の記載事項に基づいて引用例一記載の技術内容を把握することは許されないものというべきであり、その点において被告の主張は採用できないものである。

ちなみに、前掲乙第二号証によれば、同号証記載の発明の特許請求の範囲は、「炭化物、窒化物、酸化物および/又は固溶体、混合体の一種またはそれ以上によつて一層もしくは多層に被覆されている表面被覆超硬合金部品を製造するにあたり、表面被覆前の超硬合金部品を液相出現温度以上、好ましくは一三二五度C以上一五〇〇度C以下の浸炭雰囲気中にて加温かつその浸炭雰囲気としては雰囲気のカーボンポテンシヤルを少なくとも〇・〇Kcal/mole以上、好ましくは四Kcal/mole以上を保ち、それに引きつづいて冷却することにより該超硬合金の主として表面に遊離炭素を析出させて後該遊離炭素の一部又は全部を化学蒸着法にて表面被覆を行うに際し形成される被覆膜に供給することを特徴とする表面被覆超硬合金部品の製造法。」であり、明細書の発明の詳細な説明には、「第1図はRautala, NortonによるW―C―Coの三元状態図における八四WC―一六Coにおける切断図であるが、これによると液相出現温度(一三〇〇度c)以上、例えば一四〇〇度cに於てはWC+L+CとWC+Lとの境界は合金の炭素量で五・三%あり、そのまま室温まで冷却すると〇・一五%の遊離炭素を含有することが判る。したがつて液相出現温度一三〇〇度C以上に加熱し、かつ浸炭雰囲気中に超硬合金をさらせば一定量まで遊離炭素を含有さすことが可能であることが判つた。」(乙第二号証の第三頁左上欄第八行ないし第一七行。別紙図面(二)参照)と記載されていることが認められる。

右認定事実によれば、乙第二号証記載の発明は超硬合金に対してあらかじめ浸炭処理を施すものであり、その点では引用例一記載のものと同一であるが、引用例一記載の実施例2は多元系の超硬合金を母材としているものであるから、二元系の超硬合金を母材とする乙第二号証記載の説明を引用例一記載のものにそのまま当てはめることはできないこと、引用例一記載の実施例2の処理条件は前記認定のとおりであつて、乙第二号証記載のものと異なることからすると、乙第二号証記載のものにおいて浸炭処理により遊離炭素が析出されているからといつて、引用例一記載のものにおいても浸炭処理により同様に遊離炭素が析出されているものと速断することはできず、引用例一記載のものにおいて遊離炭素が存在したかどうかは不明であるといわざるを得ない。

他に、引用例一記載のものにおいて、浸炭処理により超硬合金母材に遊離炭素を含有させていることを推認し得る的確な資料はない。

以上のとおりであつて、本願発明と引用例一記載の発明とは、表面被覆超硬合金部品の製造において炭化物等の被覆層を形成せしめる超硬合金母材に遊離炭素を含有させる点で共通であるとした審決の認定、判断は誤りであり、右誤りが審決の結論に影響を及ぼすものであることは明らかであるから、その余の点について判断するまでもなく、審決は違法として取消しを免れない。

三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容することとする。

〔編註その一〕 本願発明の要旨は左のとおりである。

酸化物、炭化物、窒化物および/もしくはこれらの混合物、化合物の一種もしくはそれ以上によつて一層もしくは多層に被覆され、超硬合金と接する最内層がⅣa、Ⅴa、Ⅵa族の炭化物もしくは/および炭窒化物の一種又は複数種より成る超硬合金部品の製造法において、該被覆層を形成せしめる母材として、ほゞ均一に〇・〇一~〇・五重量%の遊離炭素を含む超硬合金を用いることを特徴とする表面被覆超硬合金部品の製造法。

〔編註その二〕 本件に関する図面は左のとおりである。

別紙図面(一)

<省略>

別紙図面(二)

<省略>

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